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自分の根源について考えてみる。

子供の頃の僕はくだらないことで悲しい思いをした記憶がある。

小学校1年生の頃、遠足などに行く時に必ず通過する
自宅沿線の私鉄駅があり、その駅名は僕の名字に加え、
名前っぽい名称がついていたのです。

「え~、お前のおやじの名前かよ~!」とからかわれたのを
覚えている。苛められたわけではないが、かなり心苦しかった
のを覚えている。

さらに、名前で言えばかなり当時は恥ずかしかった。
歌のタイトルと被り、たまにその歌をからかわれて歌われていた。

さらにある漫画において、デブで気弱な設定のキャラクターと同じ
名前でそれもたまにからかわれた記憶がある。

今でこそ、真逆な捉え方をしているが当時は、画一的な方に
憧れていた。
つまり良くある名前をなんでつけてくれなかったのかと悩んだ。
子供っていうのはそんなことで悩むものなのです。

小学校においては、静かな少年であった。スポーツは出来たのであるが
極端に目立つことを嫌った性格であり、クラスの全体写真を撮る時には、
端っこに陣取るようなひっこみ思案な子供だったのである。
だから際立って目立つ名前が嫌だったし、それをきっかけにいじられるの
が嫌だった。

中学に入ると所謂反抗期などがあったわけだが、生意気化してくる。
対外的にというより、家庭内での方が多かったと思う。

特に僕は身長が低く相当悩んだ。
やはりその年代は特に女の子の目を意識し始める年頃なわけで、
女の子より背が低いということも多々あったわけである。
死ぬほど牛乳を飲んだりしたが、下痢をして逆効果になったりしたわけ
だ。遺伝なんてことは考えなかった。

この頃には、いじめにあったりもした。
今考えれば陰湿とまでは思わないが、所謂ハブされたわけである。そ
れもくだらない理由でである。

この経験は今でも生きていて、ホントにいじめとかくだらないなと思う。

この頃から、他人の評価ではなく自分の評価で物事を判断することが
重要だと悟った。
他人の意見を聞かないというわけでなく、特に物事の善悪に関しては
自分の判断ですべきだということである。

特に子供の頃は、「あいつむかつくよな」と誰かに言われれば「そうだよな」
と答えてしまう。これは強迫観念というやつで、そう言わないと自分が今度
はされるのではないかと感じたからだ。実は決して自分ではそう感じて
いないのに。やはり、相対することが大切です。対峙です。

たぶんそこが今の自分の契機になっているのだと思う。

高校からは、完全に笑いに走り始める。
高校時代はほとんど「笑い」と「ファッション」と多少の「恋」にしか興味がな
かった気がする。あと「食」もかな。

どんな時でも笑いを前提に考えていたため、授業で先生に指されてもギャグ
で答えたりしてたので、かなり殴られた記憶がある。ビンタが大半だが、
一度だけ、げんこつでパンチを貰った。それでも最後まで笑いで貫いた。
今よりもはるかに笑いが取れてた気がする。

当時を振り返るために、今度出身高校まで先生を訪ねて来ます。

その後の自分はまた今度。
by osaki_kotaro | 2004-07-08 18:28
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